子どもに付けられる名前は約4,300個から選択。アイスランドの「承認制」命名文化を知っていますか?

image

子どもの名前って、親が一番悩む決断のひとつですよね。日本だと、画数や響き、漢字の意味を考えて、家族で何時間も話し合って…という光景が普通だと思います。法的には常用漢字の範囲内であればほぼ何でもOK。「悪魔」事件のような極端なケースを除けば、国が「その名前はダメ」と言ってくることは、まずありません。

ところが、世界には「子どもの名前を、国の委員会が承認しないと付けられない」という国があるんです。アイスランドのお話です。新生児の名前は、3人の専門家からなる「Mannanafnanefnd(マンナナフナネフンド、人名委員会)」という国家委員会の承認を受けないと、住民登録すらできません。承認されないと、パスポートも発行されない。実際、自分の名前のせいで10歳の女の子がパスポートをもらえず、家族旅行に行けなくなりかけた事件もありました。今日は、世界にはこんな子育て事情もあるんだという、ちょっと驚きの話をお届けします。

記事の要約

「Mannanafnanefnd」って、何をしているの?

正式名称はMannanafnanefnd(マンナナフナネフンド)。直訳すると「人名委員会」、英語ではPersonal Names Committeeと呼ばれます。1991年に設立された、れっきとした国の機関です。アイスランド政府の公式サイトに詳しい役割が記載されています。

具体的にどんな仕組みなのか、まとめてみました。

項目 内容
設立 1991年(法律根拠は1996年の法律第45号)
委員数 3名(任期4年)
選出 アイスランド大学の哲学部・法学部・言語委員会から各1名
名前の登録総数 約4,300名(2023年時点、男女合計)
命名期限 出生から6か月以内
申請料 4,300クローナ(約4,500円)
却下率 申請の約3分の1〜半数
決定への異議申し立て 行政機関への上訴は不可(裁判所のみ可能)

※出典:アイスランド国会(Althingi)・人名法 1996年法律第45号Ísland.is(政府ポータル)・命名ガイド

仕組みはこうです。アイスランドで子どもが生まれたら、まず「承認済みの名前リスト(Mannanafnaskrá、マンナナフナスクラー)」から名前を選ぶ。リストには男性名・女性名・ミドルネームが約4,300個。リストにない名前を付けたい場合は、申請料を払って委員会に申請。委員会が月1回程度集まって、その名前が「アイスランド語にふさわしいかどうか」を審議する。承認されないと、住民登録もパスポート発行もできません

名前を判断する3つの基準

では、何をもって「アイスランド語にふさわしい」と判断するのでしょうか。1996年法律第45号の第5条には、はっきりと3つの基準が書かれています。

基準 具体的な内容
1. 文法的に語形変化できること アイスランド語の主格・対格・属格・与格に対応する語尾変化ができる名前
2. アイスランド語のアルファベットだけで書けること C・Q・W・Zは使用不可。Þ(ソーン)、Ð(エズ)などの独自文字は使用可
3. 子どもにとって恥ずかしくないこと 将来「ama(困惑)」を引き起こさないこと(2019年改正で性別の制約は撤廃)

※出典:アイスランド人名法 第5条原文(Lög um mannanöfn 5. gr.)

一見シンプルな3つの基準ですが、これが意外と厳しいのです。たとえば、英語圏ではごく一般的な名前「Cleopatra(クレオパトラ)」は、Cで始まるので一発アウト。「Duncan(ダンカン)」もCが入っているので不可。「Harriet(ハリエット)」は文字こそ問題ないものの、アイスランド語の語形変化ができないので却下。実際にこれらは過去に申請されて、すべて却下された記録があります。

ちなみに、却下された名前のリストはアイスランドの権利情報サイトに公開されています。誰がどの名前を申請して、どんな理由で却下されたか、すべて公開されている透明性の高さも、この制度のもうひとつの特徴です。

事件1: 「Harriet」がパスポートをもらえなかった話

2014年、世界中で報道された有名な事件があります。アイスランド在住のCardew(カーデュー)家の長女、当時10歳のHarrietちゃんが、家族旅行のためにパスポートを更新しようとしたら、なんと拒否されてしまったのです。

ニューヨーク大学の系列メディアNBCニュースが報じたところによれば、理由はシンプル。「Harriet」という名前が、アイスランドの承認名リストにないからでした。

事情はこうです。父親のTristan(トリスタン)さんはイギリス人、母親のKristin(クリスティン)さんはアイスランド人。アイスランドで生まれた長女と長男に、父親の母国の名前である「Harriet」と「Duncan」を付けようとしました。ところが、人名委員会はどちらも却下。Harrietは語形変化できず、Duncanは「C」が入っているからです。

困ったCardew家は、子どもたちの公式書類で「Stúlka Cardew(意味:女の子・カーデュー)」と「Drengur Cardew(意味:男の子・カーデュー)」と登録するしかありませんでした。家族の中ではHarrietとDuncanで通っていたのに、公式書類では「ガール・カーデュー」と「ボーイ・カーデュー」だったわけです。

そして2014年、家族旅行でフランスに行こうとした矢先、パスポートが更新できないという通告が来ました。アイスランドの法律では、承認された名前でないと公的書類が発行できないからです。母親のKristinさんは、地元メディアIceland Reviewの取材にこう語っています。

彼らは、私たちの娘から移動の自由を奪ったのです。これは国連の子どもの権利条約に違反しています。

— Kristín Cardew(Harriet家の母親、2014年6月)

結局、Harrietちゃんは英国大使館から緊急用のイギリスのパスポートを発行してもらい、なんとか家族旅行には行けました。Cardew家はその後、人名委員会と国家登録局を相手取って訴訟を起こし、2015年に正式に「Harriet」と「Duncan」が承認名リストに追加されました(Iceland Monitor報道)。

事件2: 「Blær」をめぐる15歳の少女の最高裁判所闘争

もうひとつの有名な事件は、2013年にアイスランドの最高裁判所まで行った「Blær(ブライル)事件」です。Blærはアイスランド語で「そよ風」を意味する美しい言葉。母親のBjörk(ビョルク)さんは、ノーベル文学賞作家ハルドル・ラクスネスの小説に出てくる女性キャラクターから名前を取って、娘に「Blær」と名付けました。

ところが、人名委員会はこれを却下。理由は「Blærは文法的に男性名詞だから、女の子には付けられない」というものでした。

こうしてBlærちゃんは、15歳になるまで公式書類で「Stúlka(女の子)」と呼ばれ続けました。学校の成績表も、保険証も、運転免許証の前段階の書類も、全部「女の子」名義。本人の心情は察するに余りある話です。

2013年、Blærちゃんと母親はついに国を訴えました。レイキャビク地方裁判所での審理で、家族側の弁護士は「実はすでに1973年生まれのBlær Guðmundsdóttirという女性が国家登録に存在している」「アイスランド語の文法は変化していくものだ」と主張。TED Ideasに詳しい裁判の経緯が紹介されていますが、最終的に裁判所は家族側の主張を認め、Blærは女性名として承認されました。

政府側は『アイスランド語を守るため』に却下が必要だったと主張したが、裁判所はそれを退けた。Blærは男性名にも女性名にもなり得ると判断された。

— レイキャビク地方裁判所判決(2013年1月31日)

この事件は世界中で報道され、人名委員会のあり方そのものを問い直すきっかけになりました。

これまで却下されてきた名前たち

過去に申請されて却下された名前のリストを見ると、なかなか興味深いです。

却下された名前 却下の理由
Cleopatra(クレオパトラ) 「C」がアイスランド語アルファベットにない
Duncan(ダンカン) 「C」がアイスランド語アルファベットにない
Harriet(ハリエット) アイスランド語の語形変化ができない
Pedro(ペドロ) アイスランド語の文法体系に合わない
Patryk(パトリック) アイスランド語の表記規則に合わず、慣習もない
Camilla(カミラ) 「C」が不可、Kamillaなら承認
Eliza(エリザ) 「Z」がアイスランド語アルファベットにない
Spartacus(スパルタクス) 複数の理由で不適合

※出典:TODAY「25 Baby Names That Have Been Banned in Iceland」アイスランド政府・人名委員会判決2004年6月23日

逆に、最近承認された外国系の名前もあります。Isabella(イザベラ)、Natalie(ナタリー)、Aurora(オーロラ)などは、「アイスランドで一定数すでに使われている」という理由で2004年に承認されました。「Hefð(ヘヴズ、慣習)」という概念があって、すでにアイスランド国内で20名以上が使っている名前は、文法基準を多少満たさなくても認められることがあるんです。

なぜ、ここまでして名前を守るのか

「ちょっと厳しすぎないか?」と思う方も多いと思います。実際、アイスランド国内でも長年議論があります。なぜここまで国家が名前に介入するのでしょうか。

背景を理解するには、アイスランド語そのものの特殊性を知る必要があります。アイスランド語は、1,000年以上前の古ノルド語(Old Norse)からほとんど変わっていない稀有な言語です。ヴァイキング時代の文学「サガ」を、現代のアイスランド人がほぼそのまま読めるレベルです。これは、世界の主要言語の中でも極めて珍しいことです。

アイスランドの人口はわずか約39万人。グローバル化の波の中で、英語の影響を受けてアイスランド語が消滅する危機感は、日本人の想像を超えるものがあります。TED Ideasの記事では、アイスランド人の名前観をこう表現しています。

アイスランド人にとって名前は、国の財産の延長線上にあるものだ。イギリス人が古い城を保存するように、アイスランド人は名前を保存している。名前は歴史的建造物のようにリスト化され、委員会は文化財委員会のように4年ごとに任命されて、それを管理する。

— TED Ideas「The curious, three-person committee in Iceland」

政治的にはアイスランドはきわめてリベラルな国です。世界で初めて女性に選挙権を与え、世界初の同性愛者の首相を擁したこともあります。ところが言語については、極めて保守的。この一見矛盾する性格が、人名委員会という独特の制度を生み出している背景にあります。

近年の変化と「廃止論」

とはいえ、時代は変わりつつあります。2019年6月、アイスランド国会は「Lög um kynrænt sjálfræði(性別自己決定権法)」を可決。これにより、名前の性別制限が撤廃されました。男性名・女性名の区別がなくなり、ノンバイナリー(男女どちらにも分類されない人)の人は「-bur(子ども)」という中性的な接尾辞を使えるようになりました。

2020年には、当時の法務大臣Áslaug Arnaが人名委員会の廃止を提案しました。提案は国会で1回審議されたものの、委員会送りになって以降、進展はありません。レイキャビク市の元市長で人気コメディアンのJón Gnarr(ヨーン・グナル)氏も、「自分の姓から父親の名前(Kristinsson)を外したい」という申請が却下されたことに激怒し、長年にわたって委員会を批判し続けています。

Gnarr氏の有名な発言を紹介します。

もしロバート・ムガベ(ジンバブエの独裁者)がアイスランドに移住したら、外国人だから「Mugabe」という不適合な名前を維持できる。でも、生まれながらのアイスランド人の私は、不適合な名前を持てない。これは差別だ。

— Jón Gnarr(レイキャビク市元市長、コメディアン)

確かにその通りで、外国生まれの移民は元の名前をそのまま使えるのに、アイスランド生まれの人だけがリストに縛られている、という構造的な不公平があります。アイスランド国家統計によれば、現在アイスランド国内で最も多い「家族姓(ættarnafn)」は、ベトナム系の名前だそうです(アイスランド国会・2024年法案より)。これも、移民は元の姓を使えるという例外規定の結果です。

日本の私たちが受け取れること

アイスランドの話を聞くと、「そこまで国家が介入するの?」と驚いてしまいます。日本ではほとんどあり得ない光景ですよね。

でも、視点を変えてみると、これは「名前は、その人個人のものか、それとも国家文化の財産か」という根源的な問いを投げかけてもいます。日本も「常用漢字以外は使えない」という制約はあるものの、画数や響きの自由度はかなり高い。一方アイスランドは「リストにある名前から選ぶ」のが原則。同じ「名前のルール」でも、根本的な思想が違います。

個人主義が極端に強いアメリカでは、芸能人の子に「Apple(リンゴ)」「North(北)」「Audio(音声)」のような名前が付けられることが珍しくありません。一方アイスランドでは、それは法的に不可能。「子どもの名前は親の自由?」「それとも社会の財産?」、その境界線をどこに引くかは、本当に国によってさまざまなんですね。

日本の私たちにできることは、たぶん、以下のようなことかもしれません。

  • 名前を付けるとき、「自分らしさ」と「子どもがその名前で生きていくこと」の両方を考えてみる
  • 世界には全然違う命名文化があることを知って、「日本の常識」を相対化してみる
  • 子どもが将来、自分の名前を好きになれるかどうかを想像してみる
  • キラキラネームの議論も、各国の制度を知った上で考え直してみる

「世界にはこんな子育て文化もあるんだな」と知ること自体が、自分の選択の幅を広げてくれます。アイスランドの命名委員会の話は、そんな「世界の景色をちょっと広げる」窓のひとつかなと思います。

よくある質問

Q. 外国人がアイスランドに移住したら、名前を変えなきゃいけないんですか?

いいえ、現在の法律(1996年法律第45号)では、移住者は元の名前をそのまま使い続けることができます。ただし、1996年以前の旧法では、移民もアイスランド名に変更しなければならなかった時代がありました。逆に言うと、今のアイスランドでは「外国生まれの人は自由、生まれながらのアイスランド人だけが規制される」という構造になっていて、これが批判の的にもなっています。

Q. アイスランドの人は本当に承認名リストから名前を選んでいるんですか?

はい、ほとんどの場合はそうです。承認済みリストには約4,300名(男性名・女性名・ミドルネーム合計)があるので、そこから選ぶだけでも十分な選択肢があります。新しい名前を申請する人は年間数百人程度。そのうち約半数〜3分の2が承認されています。アイスランド人にとっては「リストから選ぶ」のがごく普通の感覚で、そもそも違和感を感じない人が多数派です。

Q. アイスランドにはなぜ「家族の姓」がないんですか?

アイスランドは現在も「父称(Patronymic)」または「母称(Matronymic)」という古い北欧の伝統を維持している、世界でもごく稀な国です。たとえば、Jón(ヨーン)さんの子どもは、男の子なら「Jónsson(ヨーンの息子)」、女の子なら「Jónsdóttir(ヨーンの娘)」と名乗ります。日本の「田中さんの娘さん」というニュアンスが、そのまま正式な姓になっているわけです。1925年からは新しい家族姓を作ることが法律で禁止されました。

Q. 日本人の名前(例:Sakura)はアイスランドで承認されますか?

「Sakura」は文法的にはアイスランド語の女性名として語形変化が可能なので、申請すれば承認される可能性があります(過去に「Hekla(ヘクラ)」という日本ではあまり聞かない名前も承認されています)。ただし日本人がアイスランドで子どもを産むケース自体が稀なので、判例はほぼありません。逆に「Yuki」「Hana」などのローマ字表記は、文法的な語尾変化が可能であれば承認される可能性が高いです。

参考にした情報源

この記事を書くにあたって、アイスランド語と英語の以下の情報源を参考にしました。原典のデータをもっと詳しく見たい方は、ぜひ元の資料もチェックしてみてください。

PULMO編集部

ママ向けオンラインコミュニティ「PULMO」編集部です。子育てに役立つ情報を、お届けします。

関連記事